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2004.06.13

出生率の低下は当然の結果

日経春秋「まされる宝、子にしかめやも」に異議あり!

をよんで考えたことを書いてみたい。

さて、子作りであるが、子供がたくさんいると云うことは社会的に良いこと、幸せなことと通常認識されている。必ずそこには経済的合理性があるはずだ。いや「あった」と過去形でいった方が良い。昨晩、テレビでオードリー・ヘップバーンが演ずる西部劇なるものをはじめて見たが、あの時代のアメリカでは明らかに子供が多いことは経済的合理性を持った。

確かに「過去形」で語るべき状況だ。少なくとも、
平成の都市部に生きる若者にとって、子作りの経済的合理性は存在しないだろう。

社会通念とか倫理は、社会の変化に遅れて、あとからついてくるものである。今の日本はちょうど過渡期にある。社会道徳の方が古いのだ。



とにかく、今までのように「道徳」だけを理由に、女性に子供を産めと言っても通用しない時代になっていると思うのである。

そして悲劇は、世のオジサンオバさんたちの少なからぬ層が、この社会の変化を全く認知していないことにある。
「子供が居る=幸せで充実した生活」との恒等式は彼らの中で絶対不変であり、1億2千万全ての日本人の全てに必ずあてはまる真理だと思っている。実は私の父もそのような人の一人であり、全く結婚のケの字も考えていない私に対してことあるごとに説教を食らわそうとしてくる。議論は常に全くの平行線であり、互いに一ミリたりとも歩み寄りはない。根底の価値観が食い違っているからだ。鬱陶しいので私はなんだかんだと理屈をつけて帰省しないようにしている。

どちらもそれぞれの価値観を確立させたオトナである。その価値観をそう簡単に外圧で変えられるものではない。森元首相や、拓殖大学のなんとかいうバカ教授はそうは思っていないようだが。昔の中国が文化大革命で実行したようにキャリア志向の若者を農村に下放でもするかね。

やることは子供をつくるという行為が投資採算に乗るように制度改革をすることだ。

私の身の回りにも現在子育て真っ最中の人は沢山居るが、託児所一つ見つけるのも至難の業だと聞く。また、散人さんもご指摘のとおり教育費は高騰している。国立大学の授業料など、ここ20年でどれだけキチガイじみた値上がりを繰り返したことか。さらにここにきて独立行政法人化し、今後どうなるのか想像するだに恐ろしい。

また、ここでいう採算とは金銭的なもののみに限らないと思う。職業人としての自己実現といったメリットも含まれるだろう。それを得るに必要な苦労に対してそれを得ることが可能かどうか? つまり、子育てと仕事を両立できるか? 会社や官庁づとめが前提となる職業では非常に厳しいだろう。特に、女性の場合出産の前後に出産以外のことがストップしてしまうことは避け様がない。やはり子供が小さいうちは母親がついていないと問題だろうし、そうなると「両立」というよりは育児休職せざるを得ない。ではせめて子育てが終わった後に現役に復帰することが容易かどうか? 雇用状況はみてのとおりの惨状だし、とくに競争や進歩の激しい業界ではたとえ復職できたとしても「第一線」に復帰するには本人の努力以外の何かが必要だ。

その「何か」を現実問題として考える動きが鈍すぎるように感じられる。さしあたり、託児所の類は大幅に増やし、保母さんや小児科医などももっと養成すべきではないだろうか(担い手は少なくないはず)。そのために使う税金なら喜んで払おうじゃないか。

もちろん現状でも諸々のハードルを越えて子育てとその他のことを両立している人が沢山居ることは確かだ。しかし、それが誰にとっても普通に可能だと決め付けるのは、そしてそれができないでいる者を努力不足・自覚不足・非道徳と決め付けるのは非現実的で誤っている。

そんな主張はそっぽを向かれて当然だ。「は? なにそれ?」で終わり。木に竹を接ぐような道徳論や「家族の幸せ」論の押し付けは反発しか生まない。私が父に感じているように。

私など、こうなったら非婚でも充実した人生を送れることを証明して見せてやると、逆に使命感が燃え盛っている。晩婚化、dinksの増加、出生率の低下などは必然的な結果。

このままでは森さんが如何にわめこうとも出生率は今後ももっとどんどん下がり続けるだろう。特に与党で幅を利かせているおじいさん連中には一日も早く発想の転換をしてもらわなければならない。あるいは潔く他の議員に道を譲って退場するかだ。もっとも日本の人口は少し減ったほうが土地に余裕が生まれて住みやすくなると思うが。

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2004.06.10

ちかごろ電話勧誘業者の間で流行らしい言い回し

職場の職員あてに、よくマンション購入だのなんだのの勧誘電話がかかってくる。全くうんざりだ。余り方々から掛かってくるので、最近ではこっちも熟練し、会話の最初の2,3秒を聞くだけでそれと識別できるようになった。

どうやってこのふざけた営業電話を切るかは思案のしどころだ。

普通の対処。
「出張中です。(ガチャ)」
「退職してもう居りません(ガチャ)」

虫の居所が悪いとき
「その者は転勤してもう居りません。転勤先を教えろ? しらねえよ(ガチャ)」
「そんな人間は当方には在籍しておりませんな。 うそをつくなって? 
居ないといったら居ないんだよ(ガチャ)」

後者の対処をした場合、むこうが逆切れして何度もシツコク掛けなおしてきたりするので(バカは限度を知らない)、普通は前者の対処である。

先日来、(ガチャ)の直前に向こうが言う台詞に一定の流行があることに気付いた。

敵「XXさんをお願いします」
私「席を外しています」
敵「わかりました。またアラタメます

なんなのだろうかこれは。何をどう改めてくれるのだ? どうせなら見境なく電話を掛けてくるその性根をとにかく改めてもらいたいものだが、おそらくそうではなく、「改めて電話します」の意なのだろう。しかし、この種の業者以外の連中がこういう言い回しをするのを少なくとも私は聞いたことがない。また、業者連中にしても昨年はこんな言い方はしていなかったように記憶する。この数ヶ月の間に、それも、彼らの業界に席を置くものの間に会社の垣根を越えて急速に広まったようなのである。

そういえば勧誘電話の頻度にも波がある。3ヶ月に一度程度、突然立て続けに電話がかかってくる日があるのだ。
これらの観測事実は、彼らの業界の間に共通の情報源(カモ候補のリストと、電話応対マニュアルの双方を供給する)を構築する胴元が存在することを示唆している。

先日のニュースによれば、spamメールの発信源として、格安で大量発信を請け負う業者が中国の某所に多数巣くっていることが突き止められたという。同じような調査をぜひ日本国内の電話勧誘業界に対しても行なって欲しいものだ。もちろん、突き止めるだけでなく根絶やしにして欲しい。そのためなら数億円程度の国庫支出も止むをえまい。彼らによって我らの業務が中断され集中力が途切れることの損失は大きいのだ。

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2004.06.08

唖然。ついに長崎全部が悪者にされている

山崎宏之のウェブログ: 【長崎小6女児殺害事件】学校、県・市教委に中傷・批判殺到 「長崎は犯罪者を育てているのか」

確かに異常事態です。単なる偶然とは思えません。やはり、長崎という土地柄に問題があるのでしょうか?

長崎にいったい何人の子供が暮らしていると思っているんだ。
2年に2件だぜ。 普通に考えれば偶然でしょ。

それとも、この帰無仮説を棄却できる統計的有意性を確かめたとでもいうのか? まさかね。

こんないい加減な風説をばら撒かれては長崎県民も堪ったものではあるまい。ついでに言えば、博士号の商品価値を下げるような記事を濫造されては私も迷惑だ(そうでなくてもウケが悪いんだから)。

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この用語に注意。ビョーキblog識別用語集

おかしな記事を濫造する人が好んで用いる用語を集めてみる。
こんな単語が頻出していたら要注意! 

  • プロ市民
  • 反日
  • マンセー
  • 反米

随時追加予定。

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2004.06.05

佐世保事件は「異常な」事件ゆえ騒ぎすぎてはいけない

佐世保の事件。ショッキングではあったが、パニックになるような話ではない。またマスコミに流れている記事の多くが、既成概念の安易な適用による的外れな考察である。

いい加減「インターネット=不健全なコミュニケーション」みたいなステレオタイプから卒業してくれないものかと思う。
わかりやすい「おなじみの」シナリオを当てはめておけば、とりあえずウケルし、何かと楽であろう。だがプロの記者がステレオタイプのみに依拠した記事を書いているようでは、職務怠慢といわれても仕方があるまい。一方、私を含め一般市民は、安易に「わかりやすい説明」に走って自己満足のぬるま湯に浸っていないか反省が必要だ。

この辺の「最近少年による凶悪犯罪が増えて云々」なる言説の怪しさについては、反社会学講座でまな板に挙げられていて必読である。

blogの記事をいくつか見てみよう。

Aquarian's Memorandum


一人ぐらい、変にはずれた子がいて、考えられないような行動をとる。そんなこともあるのだろう。
そのはずれた子の行動をもって、大多数の子がいる分布の山が、大きく偏っていると判断するのは間違いだ。

一撃必殺!一刀両断・改より


今回の事件は特異でもなんでもない、やってることは教科書に「デブ」とイタズラ書きされて、
仕返ししようとしたに過ぎない。
 時代が流れて今まではそこに存在しなかった道具が用いられただけのことで、今までなかったものが
使われたから特異に映るだけ。

私もこれらの意見に基本的に賛成である。

上の「反社会学講座」でも指摘されているとおり、また、「少年犯罪データベース」にもたくさん例示されているように、凶悪事件を引き起こす子供は昔から存在した。今も存在している。社会の変化によってもたらされた「新手の犯罪」とは言い難い。一方で、このような事件は、極めて低頻度にしか起こりえないことも指摘しておかなければならない。昔からまっとうな子供はまっとうでありつづけたし、今もそうなのだ。ネットチャットに興じる小学生が今日び何千人居るのか知らないが、そのうちたった一人が事件を起こしたに過ぎないのだ。これは、いくつもの要因が不幸にも重なって勃発した「異常な」事件である。

そして、この事件が「異常」であるがゆえに、現在の子供を取り巻く環境へのネガティブ評価に安易につなげるのは危険である。

この考察は多くの人には受け入れられないかもしれない。
「そんな理屈など無意味だ。今目の前に居る我が子をどうするか必死なのに、『不幸な事故』で片付けるな!」 と。

だが、こういう事件だからこそ、感情は脇においてもっと冷静に考えるべきなのだ。必死であればどんな言動も許されるというものではない。子供かわいさのあまりのことでも、筋違いな言動は筋違いな言動なのだ。この事件をきっかけにカッターナイフ禁止、インターネット禁止などという無意味な対処が広がりそうで怖い。

そんなことをしても世の中は良くも悪くも変わらない。数ヵ月後か数年後に再びどこかの子供が突発的に「理解を超える」事件を起こし、またも子供たちのことを真摯に考える「良心的な」大人がパニックに陥ることになるであろう。客観的かつ論理的な考察だけが、そのような無限ループの試行錯誤地獄から我々を救出してくれるはずだ。

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2004.06.04

下らぬ配慮、ないしは偽善 ~ フジ、NHK、TBSがドラマの放送自粛

テレビ局は日ごろ下らない番組をいくらでも垂れ流しているくせに、肝心なところでおかしな「配慮」を忘れない。

フジ、NHK、TBSがドラマの放送自粛 - asahi.com : 社会

女が刃物を振り回すシーンはご法度ということらしい。視聴者への影響を配慮してのことだとか。おお何と素晴らしき配慮! しかし本当かね。だったら、交通事故のシーンはどうなる? 交通事故では年間数千人がなくなっており、その親族の数はどう少なく見積もっても一万人は下らないと思うが。この方たちへの心理的影響には配慮しなくていいのかね? 

こうした番組自粛の話が出るたびに思うが、テレビ局の製作担当者は、もう少し「自分の大脳」を使う訓練に真面目に取り組むべきではないのだろうか。少なくとも自分の力で価値判断ができる程度には知力をつけて欲しいものだ。その知力がないから、こういうどうでもいい「自粛」を止められない。

一部のバカ市民がいろんなドラマのシーンやCMを差別表現だとか何とかいろいろクレームをつけてくることへの防衛という面もあるのだろう。しかし、「片手落ち」という言葉がテレビで使えないとか、どう考えてもおかしいのであり、そんなおかしなクレームを跳ね返すぐらいはやって当然であろう。これにもそれ相応の「知力」が必要となる。

論理性を欠く「自粛」がまかり通る一方で、監督の顔を便器に見立てた下らないコントもどきでプロ野球球団をカンカンに怒らせて、騒動が大きくなってから大慌てで謝罪するといった情けない事件も勃発する。

どちらも、ちょっと頭を使えば回避できるはず。それができない日本のテレビ局は己のバカさ加減をもっとちゃんと認識するべきだろう。

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